Convento de San José
Sei Yosefu Shudoin
Kinuyama 5-1621-1, Matsuyama-shi, Ehime-Ken 791-8025, Japan
Tel. 81 89 926 1171
E-mail.sanjose_japan@yahoo.com

聖ドミニコ修道会ロザリオの聖母管区四百年史(1587-1987)

わたしたち日本の教会の使命を考える -ロザリオの聖母管区創立記念にあたり-

高教区長 深堀 敏司教

創立400周年を記念して始めて公刊されたロザリオの聖母管区の歴史を通読松司して、いまさらのように聖ドミニコ修道会の福音宣教にたいする熱意に心を打たれました。福音を告げることが本修道会創立の第一の目的であり、修道者としての全生活と全活動が一途に福音の使徒になることに向けられています。わたくしは「全世界に行って福音を述べ伝えよ」とのキリストの命令の実行に、命をかけることを会の最高目標にしたところに会祖聖ドミニコの真面目があるとおもいます。

聖ドミニコ修道会の創立から約370年後の1587年、フィリッピン諸島を中心とする東アジアの諸国への宣教をめざす特別の管区が生まれたのも、一方で新大陸発見や大航海時代の到来という大きな世界の動きがあったとしても、会本来の日的からみると当然の行動であったといえます。アメリカ大陸が発見されると、何よりもそこに住む原住民の救いを思い、さらに遠く太平洋のかなたの島々のことを聞くと、なにはさておきこの人たちを神の家に迎えいれようと、みずからの安全を顧みず、殉教を覚悟して出かけます。わたしたちの先祖もかれらから洗札の泉に導かれました。

これらドミ二コ会員の福音宣教への情熱を見るにつけ、現代の日本の教会の一員であるわたしたちは、いま、まわりにいる多くの同胞に「真理の言葉、救いの福音」を伝える同じ使命が、修道者ばかりでなく、全信者に課せられていることに気づきたいものです。「信徒の召命と使命はなにか」が真実に問われる時代にわたしたちは生きています。これはかれらの時代にはなかったこと、しかし今、聖霊はわたしたちにそれに答えるよう促しておられます。

このたびのロザリオの聖母管区の創立記念は、わたしたちの現代の教会が、世界の檜舞台に立っている日本のあらゆる階層の人々に、神の国の福音をどのように伝えるかをあの修道者たちから学び、かれらに劣らぬ情熱を燃えたたせていただくよい機会ではないでしょか。

終わりになりましたが、本管区の管区長様、日本と他の国々で宣教に生涯を捧げておられる修道者方に、感謝とお祝いを表明いたしますとともに、物故された先輩宣教師の永遠の安息をお祈り申し上げます。

フィリピン諸島

ロザリオの聖母管区は、創立当初から1973年にフィリピン諸島を管轄区域とするフィリピン管区を独立させるまで、管区本部をマニラにおいていたので正式な名称は「フィリピン諸島にある至聖ロザリオ管区」と呼ばれていた。現在は本部を香港に移しているので、今の名称に変更した。管区にとって誕生の地であり、その400年の歴史を刻み続けてきたフィリピン諸島とのかかわりについて述べてみたい。

前述したローマ教皇アレクサンデル六世の大勅書の決定に従って、スペインは西方航路による東洋への新航路と新領土の発見を求めて数回にわたる探検隊を出した。そのうち最もよく知られているのはマゼラン指揮下の第1回探検隊である。1519年8月10日、セビッリャを出発し、南アメリカの東海岸を南下、後に彼の名がつけられるマゼラン海峡を発見して太平洋に出た。長く、苦しい未知の大洋を航海した後、1521年3月30日、フィリピン諸島のリマサワにたどりついた。マゼランはミンダナオ島やセブ島を訪れ、原住民と友好条約を結ぶのであるが、マクタン島で無謀な争いをおこし殺害されたので、第1回探検隊は発見したばかりのフィリピン諸島を離れねばならなくなった。

世界一周航路の最初の発見者たちが得た栄誉は素晴らしいが、その航海がいかに苛酷なものであったかは、234人の人員が5隻の船に乗って出発したのに、セビッリャ港に帰ってきたのはただ1隻のビクトリア号と18名の生存者であった事実が示すであろう。しかし単なる領土拡大のためばかりでなく、新しく発見された土地の人々に福音を伝えたい熱意が数次にわたる新たな探検隊を派遣するのである。それはフェリペ二世の次の言葉にうかがえるであろう。「余はフィリピン諸島をキリスト教の旗のもとに引寄せるための神の道具である」。ちなみに、フィリピンという地名は第4次探検隊を率いたルイス・ロペス・デ・ヴィリャロボスがフェリペ二世の栄誉を称えてレイテ島を「フィリピナ」と命名したが、後に全群島を指す名称となったのである。

1564年11月、レガスピーの率いる第5次探検隊がメキシコを出発した。翌年2月にレイテ島に着いたレガスピーは族長シカツナとスペインの統治権を認める条約を結ぶ。1570年にはフィリビンの中心地となるマニラを征服し、彼が死ぬ1572年までに全ルソン島をスペインの統治下に治めた。一方、カトリック宣教は5名のアウグスチノ会士によって始められていたが、小人数のために大きな成果は期待できなかった。しかしその未来は洋々たる希望に満ちたものであった。

Copyright (C) dominico. All Rights Reserved.