| 1.わたしたち日本の教会の使命を考える -ロザリオの聖母管区創立記念にあたり- |
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| 2.フィリピンに管区を創立する計画 |
| 3.新管区創設の実現に向かって |
| 4.フィリピンにおける活動の始まり |
| 5.フィリピンにおける発展 |
| 6.中国大陸に福音の光を |
| 7.インドシナ半島における宣教 |
| 8.朝鮮半島への宣教の試み |
| 9.ローマ修道院 |
| 10.アメリカ大陸での活動 |
フィリピンに最初の足跡を印したドミニコ会士はマゼランの率いる探検隊に随行したペドロ・バルデラマ神父であった。数次にわたる探検隊の報告によってフィリピンの様子が分るに従い、メキシコで活躍していた諸修道会は新領土における福音宣教への熱意に燃えた。当時メキシコにサンチャゴ管区を創立していたドミニコ会も例外ではなかった。特にサンチャゴ管区の初代管区長ドミンゴ・デ・ベタンソス神父は1551年にチャパ管区とグアテマラ管区を設立して福音宣教に大きな成果をあげていたので、フィリピンにも新管区を設立する意欲を持っている人であった。フランシスコ会土でメキシコ司教フアン・デ・スマラガや著名なドミニコ会土バルトロメオ・デ・ラス・カサスとも話し合い、必要な手続きをとっていた。グアテマラの司教に任命されていたのにそれを断り、宣教師としてフィリビンに行くことを希望した。メキシコ副王ドン・アントニオ・デ・メンドーサはフィリピン行きの船と人員を準備すると約束したので、彼は関係する上長者から必要な許可と権限を得ていたが、実現には至らなかった。その理由は教皇がフアン・デ・スマラガにメキシコ司教の辞任を認めなかったこと、高齢であったベタンソス神父の身を案じる人々が計画の断念を迫ったこと、当時のフィリピン情勢の悪化によるのであった。
ベタンソス神父の夢を実現させたのはドミンゴ・デ・サラサール神父であった。彼は40年間コロンビア、メキシコ、フロリダで原住民のために尽くしたので、「インディオスの保護者」と称せられていた。1579年、原住民の権利擁護のためマドリッドに滞在している時、フェリペ二世の要請により教皇グレゴリオ十三世は彼をフィリピン司教に任命して新領土の教会組織を設立するように命じた。そこで彼は20名のドミニコ会士を伴いフィリピンへ向けて出発したが、メキシコまでの船旅の途中ペストが発生して18名が死亡した。それでサラサール司教はフランシスコ会の宣教師団、3名のイエズス会士、そして1名のドミニコ会士サルヴァティエラ神父を伴い、フィリピンをめざしてメキシコを出発した。出発に先立って、司教は新領土における福音宣教をめざすドミニコ会管区を設立してほしい旨をサンチャゴ管区に言い残した。
司教の要請に答えようと、1581年、サンチャゴ管区は新管区設立の準備をフアン・クリソストモ神父に命じた。ただちに彼は必要な手続きを取るためにマドリッドとローマに行き、ドミニコ会総長フェラーラ神父から新管区設立の許可と総長代理の権限、そして30名のドミニコ会士を募集する権限を得た。また教皇グレゴリオ十三世からフィリピンに新管区設立を許可する1582年9月15日付けと10月20日付けの2通の小勅書を受けたが、マドリッドの王室顧問会が経済的理由から反対し、この計画の実現があやぶまれた。しかし3年後、フェリペ二世の個人的援助により、1585年9月20日付けの勅書で24名のフィリピン渡航が許可されたのであった。
数ヶ月のうちに、フィリピンにおける新管区創設の計画にスペイン各地の修道院から40名が応募して、クリソストモ神父のいるセビッリャに集まって来たのである。その中にはグアテマラ管区長職を2期も勤めたフアン・カスト口、マニラのサント・トマス大学の創立者で、後にヌエバ・セゴヴィア司教、さらにマニラ大司教となる。ミゲール・デ・ベナビーデス、新しい管区の管区長となるフアン・デ・オルマーサなど有能な人材がいた。そこで、謙遜なクリソストモ神父は自分のごとき者が長たるには相応しくないと考え、総長代理の職務と権限をフアン・カストロ神父に委ね、自分は渡航に必要な準備に奔走するのであった。
1586年7月17日、ドミニコ会士の一行はカディス港からメキシコへ向かった。船中での彼らの生活は祈りと勉学の明け暮れで、まるで修道院生活のようであった。同年9月29日、ベラ・クルスに上陸し、メキシコ市へ向けて徒歩で旅を続けた。突然の気候の変化とこれまでの苦労の疲れから多くの病人と死者がでた。旅の苦労以上に彼らを悩ませたのは旅を終えてメキシコ市に着いてからのことであった。それはマニラからスペインへ向かう途中、メキシコ市に滞在していたイエズス会士アロンソ・サンチェス神父がフィリピンでは宣教の成果は少なく、これ以上の宣教師の派遣は王室財産の浪費に終わるだけだとメキシコ総督に報告していたので、到着したドミニコ会士のうち12名しかフィリピン渡航が許されなかった。この報告はマニラ司教サラサールの考えとは全く逆のことであった。一行は神の摂理に信頼しつつ、祈りのうちに困難の妥結を願い、総督から18名の渡航許可を受けることができた。うち15名はマニラへ、3名はマカオへ向かうことになった。
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