Convento de San José
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日本における宣教

(36)社会事業

初代の四国教区長アルバレス神父が徳島で計画し、実現できなかった愛の奉仕活動への夢を管区は大切にしてきた。1954(昭和29)年8月、松山市で最大の500床を持つ精神病院の所有者からその経営管理の責任を譲られた。その病院は資金ぐりの難と労働争議の激しさを抱えて経営困難に陥っていたのである。サンタマリア神父が専務理事となって経営の立て直しを始め、医者や看護人にキリスト教的な愛の精神を説き、多くの人が受洗した。管区は資金援助をして新しい病棟を建て、施設面での改善をした。病院全体に暖かい雰囲気が生れて、これからキリスト教的愛のセンターとなり、故アルバレス教区長の夢が実現すると思われた頃、神父が信頼していた会計事務担当者の横領事件が発生し、病院の経営権を所有者に返還することになり、5年間におよんだ愛の計画が挫折した。

(37)日本管区創設への試み

1926(大正15)年、教皇庁は函館代牧教区をドミニコ会カナダ管区に委嘱し、翌年にカナダ管区ドミニコ会士が来日した。2年後には福島県と宮城県の宣教を担当して、ルミュー師が仙台司教に叙階された。東北で宣教するカナダ管区と四国で宣教する至聖ロザリオ管区が管区レベルでの協同事業を計画し、1951(昭和26)年4月、京都に広大な敷地をもつ和風の家屋を共同購入し、両管区の入会志願者を養成する場所にした。これが「聖トマス学院」である。ここに任命されたカナダ管区のプリオット神父とエグリ神父、ドミニコ会総長直属のベンチベニ神父らは京都大学で中世哲学の講座やイタリア文学の講座を担当しており、また聖トマス・アキナスの研究者である京都大学の高田三郎教授や山田晶教授を中心に聖トマス・アキナス著「神学大全」の日本語訳作業が行われていた。両管区から10名の志願者が集まり、指導司祭に至聖ロザリオ管区のアントニオ神父が任命された。志願者たちはラテン語の勉強やドミニコ会的修道生活の心得について修行し、仙台にある両管区共同の修練院に送られた。その指導のもとで修練期を始めた。彼らの中から仙台教区長佐藤千敬司教、押田成人、竹島幸一、岡本哲男の諸神父、大宮正信とレジナルド・スミス修道士が現在活躍中である。
さらに米国の聖アルベルト管区が加わり、1953(同28)年1月、ドミニコ会総長が任命した総長代理ピータ・オブライエン神父のもとで、3管区が共同して日本での宣教活動をすることになった。これは将来のドミニコ会日本管区創設への布石であるが、残念ながらこの計画は3年後に挫折してしまった。

(38)高松司教区田中英吉司教の時代

1904(明治37)年、至聖ロザリオ管区が四国知牧教区を担当した時点で、教区内には4人の宣教師、粗末な日本家屋、小さな聖堂が2つしかなかったのに、59年経った1963(昭和38)年には大きな発展を遂げていた。ドミニコ会、オブレート会、ブルゴス宣教会に属する50名の司祭と邦人教区司祭7名、数名の神学生、25の小教区と巡回教会、4500の信徒を擁する教区に成長した。さらに各修道会が行っている教育事業や社会事業をみれば、中学校1、高等学校2、病院1、養護施設2、幼稚園16と計画中の施設がいくつかある。同年9月13日、ローマ教皇庁は四国知牧教区を司教区に昇格させ、これまで四国の教区長代理であったフランシスコ田中英吉神父を初代司教として任命された。折から開かれていた第二ヴァチカン公会議に出席した田中披選司教はローマにおいてパウロ六世教皇から司教位の叙階を受けた。同年10月15日のことであった。公会議の第2会議の終了とともに四国に帰り、12月15日に高松司教座聖堂において着座式が盛大に祝われた。
新司教の指導により、第二ヴァチカン公会議の公文書にもとずいて教会組織のあり方、宣教の進め方が現代社会に適応・刷新されたものに改められた。教区は5つの宣教地区に分けられ、それぞれの地区から選出された代表の司祭たちからなる司祭評議会、教区内にある各小教区の信徒代表は県別に集り地区信徒使徒職協議会を作り、また4県の地区信徒使徒職協議会の代表からなる教区信徒使徒職協議会、また教区内で働くすべての修道女会からなる修道女連盟が組織された。司教は四国の宣教活動をするに際して、教区顧問会以外にこれらの3組織に諮問あるいは協議して決定することになった。至聖ロザリオ管区が担当する愛媛地区においても、早速それらの組織ずくりを促進したのである。
また愛媛地区にあるすべての小教区の土地、建物、その他の財産の登記は、ドミニコ会所有のものを除いて、 「宗教法人カトリック高松司教区」の名義で登記された。同じく愛媛地区にあるすべての幼稚園も「宗教法人カトリック高松司教区」の名義で登記されるように決議されたが、法律上非常に困難なことが分り、司教の許可で「宗教法人カトリック聖ドミニコ修道会」の名義で登記することになった。しかし、1985(昭和60)年、愛媛県庁の指導で「学校法人口ザリオ学園」の名義に変更されることになる。
信徒使徒職の各種団体も、たとえばレジオ・マリエやボーイ・スカウトなど、司教区本部に所属する組織体に編成されて活動するようになった。また、この頃、全世界的に信仰刷新運動(クルシッリョ)が起り、愛媛地区においても教区司祭山下神父の指導で練成会が数次にわたって開かれた。ラジオ南海放送から、「心のともしび」番組が放送され始め、マスコミによる宣教も行われるようになった。特に松山地区においては、大学生や高校生の間に「カトリック学生連盟」の運動が盛んになった。
1976(昭和51)年9月、宇和島出身の教区司祭ライムンド田中健一神父が京都司教に叙階されたことは愛媛地区を担当するドミニコ会にとっても大きな喜びであった。

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