Convento de San José
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日本における宣教

(39)田中英吉司教時代における愛媛地区の発展

昭和30年代から若い宣教師が次々と30名も来日している。彼等の多くが東京で日本語を学び、また各自の能力に応じて大学に入学し、高度な準備をしてから宣教地に配属されるように計画された。東京大学東洋哲学科で日本仏教を専攻した者もいる。有能な宣教師が松山にやってきたので、地元の松山商科大学でスペイン語の講座、聖カタリナ女子短期大学で倫理学、宗教学、スペイン語などの講座を担当するようになった。
この時期に新たな宣教地の創設としては、既述の通り、北条教会がある。愛媛地区にある多くの教会施設は戦後に粗悪な材料で建てられたので、老朽化が激しく、また急増した信徒数や新しい宣教活動に対応しきれなくなったことから、全面的に改築あるいは新築の必要があった。そのためには莫大な費用を要するが、愛媛地区ではすべての宣教師が勤倹貯蓄し、地区内の財産を共同管理しているので、必要度に応じて順次改築あるいは新築事業を実施していくことができた。幼稚園舎の新築が八幡浜と道後(1971年)、宇和島(1975年)、西条(1979年)、一部新築は郡中(1979年)の諸教会で完成した。また今治教会(1972年)と松山教会は全面的に新築され(1975年)、新居浜教会では幼稚園舎と司祭館が新築された(1979年)。そして愛光学園は宮西町から衣山へ全面的な移転新築であり、同時に司祭館、教会、中学部と高校部の2つの聖トマス寮、学園直営の聖ドミニコ寮が新築された(1972年と1977年)。

(40)聖パウロ女子修道会の松山進出

1967(昭和42)年、松山教会主任司祭ヨゼフ神父の招きに応じて聖パウロ女子修道会が松山教会に「聖パウロ書院」を開設し、地元のみでなく愛媛地区全体の信徒がカトリック図書や信心用具を容易に購入できるようになり、また教会伝道場に常住する修道女が教理指導や家庭訪問をして、教勢発展に大いに貢献していた。しかし1975 (同50)年、松山教会新築工事のために「聖パウロ書院」を一時閉鎖した。新築された教会堂には「聖パウロ書院」の店舗が設置されていたが、聖パウロ女子修道会は会員の不足のために松山における宣教活動から撤退したのは残念なことであった。その後、書院は「松山書院」と名称を変え、聖ドミニコ宣教修道女会の協力で週に3日間だけ開店する状態であった。そこで1981(同56)年3月、主任司祭岡本神父の依頼で、聖パウロ女子修道会が再び 「松山書院」を「聖パウロ書院」としてその経営の責任を取ることになり、毎日開店されるようになった。

(41)2つの記念式典

この頃、至聖ロザリオ管区は2つの喜びの集会を持った。これは1つの宣教の実りであり、また新たな宣教への活動力でもあり、神に深く感謝する思いのみである。
「日本二百五殉教者列福百周年記念祭」・・・・・・1967(昭和42)年は教皇ピオ九世が日本二百五殉教者を列福されてから100年目に当たる。この殉教者たちの大部分がドミニコ会関係者であるので、至聖ロザリオ管区は松山地区で記念式典を計画した。11月22日、聖カタリナ女子高校に高松教区長田中英吉司教を迎え、ドミニコ会司祭、修道女、愛媛県下の多くの信徒が参加して記念式典を挙行した。午前中はキリシタン史研究家である長崎純心短期大学片岡弥吉教授が「長崎キリシタンの殉教者」と題する講演をし、午後は田中司教の司式による荘厳な記念ミサが捧げられた。
「聖ドミニコ生誕八百年祭」・・・・・・1970(昭和45)年は会祖聖ドミニコの生誕800年という記念すべき年であった。ドミニコ会総長アニセト・フェルナンデス神父は全世界のドミニコ会家族にメッセージを送り、教皇パウロ六世より特別な祝辞をいただいたこと、各地でそれぞれ相応しい記念祭をするように伝えた。そこで愛媛地区で宣教するドミニコ会の神父たちや修道女たちはその年の11月1日、諸聖人の祭日に聖カタリナ高校白百合館において記念祭を挙行した。参加者は四国四県から約800人が集り、ドミニコ会から記念の聖ドミニコの絵とメダイが贈呈された。またバリエス神父が編纂した「星に輝く使徒」というB6版314ペ ジの本が出版された。その第1部にはペドロ・フェランド著「聖ドミニコ伝」と福者ホルダン・デ・サクソニア著「説教者兄弟会創立史」の日本語翻訳、第2部は「聖ドミニコと日本との出合い」と題してホセ・デルガド・ガルシア著「キリシタン時代におけるドミニコ会士の宣教」とディエゴ・ロドリゲス.ヴィリャロボス著「ドミニコ会殉教録」が納めてあり、読者に聖人と彼の修道会、日本宣教の歴史が紹介されている。

(42)第2代高松司教深堀敏師の就任

1977(昭和25)年、田中英吉司教が健康を害し長期の療養を必要とされたので、司教職を辞任された。そこで福岡教区より深堀敏師を第2代高松司教として迎えた。新司教の着座式は同年9月23日に高松司教座聖堂で多くの教区民の慶びのうちに行われた。

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